☆LDっ子Rのブログですが、Rの話が尽きましたので、「他愛ないひとり言日記」化しています^^; 更新も不定期ですが、気軽に遊びにいらしてくださいマセ☆

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6年間の重みにバイバイ(^_^)/~

以前、 「一期一会」 の話をしましたがホント、人の出会いって不思議です。
なるようにして、出会うべくして、出会うのですね。

その後のRですが、クラスの仲間たちともうまくやっていけてるようでした。

ただ、勉強をほとんどやっていなかったのでかなり遅れていました。
特に算数と国語は致命的。 3.4年の勉強がすっぽりと抜けているのですから
LDっ子Rじゃなくてもこれはきつい状態。

隣の席の女の子が教科書に振り仮名をしてくれます。それもびっしりと。
私もしていたのですが、その子の方が遥かに丁寧です^^;ありがたかったです。

Rも毎日楽しそうでした。
担任次第でこんなにも変わるものなんだと実感しましたね。
力量って見た目解りませんよね。
だけど、確かに先生によって、生徒がここまで変わっていくのです。
ま、クラス替えもあったんですけど、流れが変わってゆく・・・
そんな不思議な感覚です。。

変わったのはRだけじゃありません。
Rたちのクラスは、いわゆるやんちゃな子が多くいましたが、その子たちも
落ち着いていきました。Rの入学時・1年の担任は若い男の先生でした。
知的で理論好きな理系の先生でしたが、残念なことにいわゆるサラリーマン教師でした。
・・・ってこんな言い方は反感買うかもしれませんが、私は教師はサラリーマン的であっては
いけないと思っています。古臭いかもしれませんが、人に教える側に立つ人は人格者で
あってほしい。教えることに歓びを感じれる人であってほしい。何より、子供好きであって
ほしい。小学校だけではなく幼稚園・高校とて同じです。理想論かもしれませんが。。


担任との出会いはかなり大事です。子供のその後の人生をも変えてしまう、、、
ひょっとしたらそれくらいの影響力を持っているのかも。
実際、そういったジレンマの中でもがいている子供たちがたくさんいます。
人と人とのつき合いですから相性もありますが、運悪くそういった先生に当たった場合
これもまた、反面教師です。出会いは自分で呼び寄せていると言いますが、
意味のない出会いはありません。

で話は戻りますが、いよいよ私たちも関西に戻ることとなります。
このクラスの仲間たちと一緒に卒業は出来ませんでしたが、
Rにとっては一番の思い出になったことでしょう。

明日引越すという前日に、担任の先生が手作りのチーズケーキを
焼いて家まで持って来てくれました。そのお皿は今でも大切な思い出。
クラスの仲間たちからのメッセージやプレゼントもそうです。
もう大半の子供たちは忘れているかもしれませんね。それでもRだけではなく
私にとってもやっと真っ暗なトンネルから出れたのです。
忘れるわけがありません。感謝しています。

約6年間。長かったような、あっという間だったような。
でも、やっぱり しんどかった ・・・ そんな6年間でしたが、
やり遂げた充実感みたいなものもありました。




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| 小学校高学年時代 | 13時13分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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担任の先生は、どんな魔法を使ったの?

4年生の終わりの頃には、まだ保健室登校は続いていましたが、
昼休みにはクラスの友達が保健室に遊びに来たりするようにもなっていました。
だったら、クラスに行けばと思いますがね(笑)

そして、5年に進級しクラス替えです。新しいクラスと担任の先生。
その担任の先生が、Rを変えていきます。私たち親子にとって忘れられない人
となっていくのです。この先生のお陰でRはクラスに戻ります。
また近所のいじめっ子は、後にRの親友にもなっていきました。

忘れもしません
最初の4月の家庭訪問時に”誰にいじめられていますか?”
といきなり言ってきた先生です(爆)
しかも、この先生、かの有名な金八先生じゃないけど、
いじめっ子を腐ったみかんに例えたのです^_^; 
”根こそぎつぶす”とも言ってました。
今思えば過激な先生ですよね(笑)ちなみに女の先生です。

実は、当時のRたちの学年がすごく荒れていました。
学年崩壊に近い状態で緊急に保護者会議が何度も開かれたりしていたのです。
クラスでいじめも盛んだったようです。Rもやられていたと思いますが、
本人は動じていないのか、感じていないのか、何も私には言ってきませんでした。
ただ、この頃から少林寺を習いたいと言いだし、通い始めました。
単純なヤツですから、きっとそれで相手をやっつけるつもりだったんでしょうね。

この武道との出会いがまたRを変えていきますが、それはずっと後の事になります。

この担任がどのような働きかけをしたのか実は私もよく解りませんが、
Rは5年生の時にはクラスに戻っていました。あれ程、苦労してきたのが嘘のように
それこそ、いつの間にか、自然とそうなっていました。

そして、近所のいじめっ子も家にもよく遊びに来るようになり大の仲良しになっていくのです。
しかも、ここの両親は、その子が一人っ子だったせいもあるかもしれませんが
Rも一緒にキャンプに行ったり出掛けたりと、大変お世話になりました。

  状態の中、保健室登校は終了したのです。

| 小学校高学年時代 | 13時07分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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保健室登校をする

今日は、久しぶりに晴れました。 だとやっぱ気持ちいいな。

さて、「僕はやってもやっても出来ない」の続きからです。

Rの大泣きは、幼稚園で慣れています。が、Rは幼稚園児ではありません。
3年生の男の子が学校の正門で大泣きするわけですから、目立たないわけがありません。

毎朝、ぐすって行きたくないを連発するようになりましたが、
その時私はここで休ませたらこの子はダメ!になると思いました。
休ませた方が私たちもラクでしたが、私か、夫が朝連れて行きました。

置かれている環境やその子の気質もありますので、登校拒否に関してはここでは
賛否は控えますが、学校に行かない!とゆうこともひとつの自己主張であり決断で
あると思っています。けれど、いつかは社会に出て行かなければなりません。
その辺の葛藤や影響が難しいとこですね。ホント、住みやすい社会を切に願います。

で、Rの場合ですがパワーがありすぎる子でした。いじめにもあっていますが、
小さい頃は背も低くひょろひょろとした体型でした。
なので、力では負けてしまうのですが、何度でも相手に向かっていきます。
またそれだけで本人の気が済まない時は、その子の親に直談判する子でした。
困った面もあったのですが、けれどそういった部分も上手に感情をコントロール
する事によって、プラスに化ける事もあります。そう言った可能性の芽をつぶしたくない
と思ったのでしょうね。休むことで気持ちを後ろ向きにさせたくないと思いました。

でもそれからが大変で・・・何とか学校には行くのですが、
クラスには行こうともしません。さすがに私もクラスがイヤならムリして行く必要は
ないと思っていましたので、校長先生や担任とも話し合って保健室登校という形に
してもらいました。そうです。要は登校拒否だけ避けた状態ですね。
ただ、行ってるだけです。

最初の頃はこの保健室でも好き放題やっていたようです。
片付けない・わざと散らかす・椅子は倒す・・暴れているようなものです。
でもその内、その保健室の先生との信頼関係が出来たのか、気持ち的に
少し収まってきたのか、だんだんと変わっていきました。
表情も柔らかくなり、クラスにも日によって違いますが数時間くらいは
出席も出来るようになっていました。

この状態が約2年間続きました。
もうこの頃から私も2・3歩うしろから見守っている状態でした。

| 小学校高学年時代 | 14時28分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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僕はやってもやっても出来ない

仲の良い友人にこのサイトを教えているので、覗きに来てくれて
いるみたいです。友人とは、ありがたいですねー 感謝!感謝

しかし、友人曰くこのプロフ画像が斜に構えているので、
記事は真剣に書いているのだけど、どうしても笑ってしまうとのこと。
・・・そう言われてもね~^_^; 
でも、確かに可笑しい(笑)

ではでは、遊びに来てくれた方は、まずはこちらを見て笑ってやってくださいな。
笑顔って大切ですもんね。

さてさて、最近は話が飛んじゃって申し訳ない。
今日からは小学校高学年編に進みますね。
(低学年時代のエピソードはこちらにあります)

3年生にもなってくれば、益々勉強も難しくなってきます。
私のせいですっかり二次障害に陥ってしまったRは、
この頃にはもうほとんど勉強もしなくなりました。

私はと言いますと、アセスメントを受けてLDの印をもらっちゃったわけで、
気持ち的にはパズルのピースがはまった感じはするものの、
やはり完全にはLDを受け止めれていなかったのかなぁー
要は、認めたくなかったんだと思う。なので、診断された後も最初の頃は、
相変わらずのやり方で勉強も教えていましたっけ。

それが、ある日いつものように、キレかけながら教えているとRが泣きながら
”僕はやってもやっても出来ない。なんで出来んの?どうして勉強せなあかんの?
誰が決めたの?・・・”
 とこんな事を立て続けに言うのです。
  

・・・誰が決めたとの?とか、勉強するのは・・・この程度の質問だけならまだしも、
”やってもやっても出来ない” とゆう、このRの訴えが私には正直堪えました。

返す言葉もなくて。イヤイヤながらもRなりに頑張っているのは解っていたんですが、
その本人の頑張りを先生はもちろんのこと、親である私でさえどっか認めていなかったんです。

Rも張り詰めていた糸が切れちゃったのかな。
それ以来、毎日学校から帰って来ても、制服のまま布団に入ってランドセルを
枕にして寝ているのです。今でも、何でランドセルを枕にしたのか解りませんが。

当時私はパート勤めをしていたのですが、家に帰ってみると毎回このような状態。
けれどこれも変な話なのですが、そんなRに私も声がかけられなかったんです。

そういう生活が暫く続いたあと、朝の登校の時間になると大泣きするようになったのです。

| 小学校高学年時代 | 11時30分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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